無料ブログはココログ

« 2016年5月15日 - 2016年5月21日 | トップページ | 2016年6月12日 - 2016年6月18日 »

2016年5月22日 - 2016年5月28日

5.3. プンナカ学徒の問い 1052

1052.(1045)
【経典文】
"ye kecime isayo manujā, (iccāyasmā puṇṇako) khattiyā brāhmaṇā devatānaṁ; yaññamakappayiṃsu puthūdha loke, kaccissu te bhagavā yaññapathe appamattā; atāruṁ jātiñca jarañca mārisa, pucchāmi taṁ bhagavā brūhi metaṁ". (3)

【正田氏訳】
かくのごとく、尊者プンナカが〔尋ねた〕「彼らが誰であれ、これらの、聖賢たち、人間たち、士族たち、婆羅門たちは、天神たちへの祭祀を、ここに、〔この〕世において、多々に営んできたのですが、世尊よ、はたして、いったい、祭祀の道に怠りなき彼らは、敬愛なる方よ、生と老とを超えたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」〔と〕。(3)

【文法的分解】
"ye(ya: pron.m.pl.nom.「(所のもの)が」)
kecime=ke(ka: pron.m.pl.nom.「誰」)とci(ci: indecl.「いかなる/でも」)とime(imaṁ: pron.m.pl.nom.「これらは」)の連声
isayo(isi: m.pl.nom.「聖者たちは」)
manujā(manuja: m.pl.nom.「人間たちは」),

(iccāyasmā=iti(iti: indecl.「かくのごとく」)とāyasmā(āyasmant: a.m.sg.nom. 「尊者が」)の連声
puṇṇako(puṇṇaka: m.sg.nom.「プンナカが」))

khattiyā(khattiya: m.pl.nom.「王族たちは」)
brāhmaṇā(brahmaṇa: m.pl.nom.「婆羅門たちは」)
devatānaṁ(devatā: f.pl.dat./gen.「神々への」);

yaññamakappayiṁsu=yaññaṁ(yañña: m.sg.acc.「祭祀を」)とakapppayiṁsu(kappati: v.3.pl.aor.「営んできた」)の連声
puthūdha=puthu(puthu: adv.(<a.acc.)「たくさん」)とidha(idha: adv.「ここに」)の連声
loke(loka: m.sg.loc.「世において」),

kaccissu=kacci(kacci: idecl.「かどうか」)とsu(su: adv.「まさに」)の連声
te(so: pron.3.m.pl.nom.「彼らは」)
bhagavā(bhagavant: m.sg.voc.「世尊よ」)
yaññapathe=yañña(yañña: m.「祭祀」)+patha(patha: m.sg.loc./pl.acc.「道において/道々に」)のコンパウンド
appamattā(appamatta: a.m.pl.nom.「不放逸〔な人々〕は」(aは否定の接頭辞));

atāruṁ(tarati: v.3.pl.aor.「超え渡った」)
jātiñca=jātiṁ(jāti: f.sg.acc.「生を」)とca(conj.「と」)の連声
jarañca=jarāṁ(jarā: f.sg.acc.「老を」)とca(conj.「と」)の連声
mārisa(mārisa: a.sg.voc.「我が師よ」),

pucchāmi(pucchati: v.1.sg.press.「尋ねます」)
taṁ(tvaṁ: pron.2.sg.acc.「あなたに」)
bhagavā(bhagavant: m.sg.voc.「世尊よ」)
brūhi(brūti: v.2.sg.imper.「言ってください」)
metaṁ=me(ahaṁ: pron.1.sg.dat.「私に」)とtaṁ(taṁ: pron.3.n.sg.acc.「それを」)の連声". (3)

【自己流訳】
かくのごとく尊者プンナカが〔尋ねた〕、「これらの聖者たち、人間たち、王族たち、婆羅門たちは、彼らがいかなる人でも、神々への祭祀をたくさんここで世において営んできました。世尊よ、彼ら〔すなわち〕祭祀の道に不放逸〔な人々〕は、まさに、生と老とを超え渡ったのでしょうか、我が師よ、あなたに尋ねます。世尊よ、私にそれを説いてください」〔と〕。(3)

5.3. プンナカ学徒の問い 1051

1051.(1044)

【経典文】
"ye kecime isayo manujā, (puṇṇakāti bhagavā) khattiyā brāhmaṇā devatānaṁ; yaññamakappayiṁsu puthūdha loke, āsīsamānā puṇṇaka itthattaṁ; jaraṁ sitā yaññamakappayiṁsu". (2)

【正田氏訳】
かくのごとく、世尊は〔答えた〕「プンナカさん、彼らが誰であれ、これらの、聖賢たち、人間たち、士族たち、婆羅門たちが、天神たちへの祭祀を、ここに、〔この〕世において、多々に営んできたのは、プンナカさん、〔今〕この場の〔迷いの〕状態を〔自ら〕願い求めている者たちが、〔自らの〕老に依存し、〔意味なき〕祭祀を営んできたのです」〔と〕。(2)

【文法的分解】
"ye(ya: pron.m.pl.nom.「(所のもの)が」)
kecime=ke(ka: pron.m.pl.nom.「誰」)とci(ci: indecl.「いかなる~でも」)とime(imaṁ: pron.m.pl.nom.「これらは」)の連声
isayo(isi: m.pl.nom.「聖者たちは」)
manujā(manuja: m.pl.nom.「人間たちは」),
(puṇṇakāti=puṇṇaka(puṇṇaka: m.sg.voc.「プンナカさん」)とiti(iti: indecl.「かくのごとく」)の連声
bhagavā(bhagavant: m.sg.nom.「世尊は」))

khattiyā(khattiya: m.pl.nom.「王族たちは」)
brāhmaṇā(brahmaṇa: m.pl.nom.「婆羅門たちは」)
devatānaṁ(devatā: f.pl.dat./gen.「神々への」);

yaññamakappayiṁsu=yaññaṁ(yañña: m.sg.acc.「祭祀を」)とakappayiṁsu(kappati: v.3.pl.aor.「営んできた」)の連声
puthūdha=puthu(puthu: adv.(<a.acc.)「たくさん」)とidha(idha: adv.「ここに」)の連声
loke(loka: m.sg.loc.「世において」),

āsīsamānā(āsiṁsamānā(<āsimsatiのppr.): m.pl.nom.「希望している〔者たち〕である」備考:主格はāsiṁsamānāという綴りだが韻律の関係で語中のiṁがīに変化したと思われる)
puṇṇaka(puṇṇaka: m.sg.voc.「プンナカさん」)
itthattaṁ(itthatta: n.sg.acc.「ここ[輪廻]の状態」);

jaraṁ(jarā: f.sg.acc.「老いに」)
sitā(sita: m.pl.nom.「依存した〔者たち〕である」)
yaññamakappayiṁsu=yaññaṁ(yañña: m.sg.acc.「祭祀を」)とakappayiṁsu(kappati: v.3.pl.aor.「営んできた」)の連声". (2)

【自己流訳】
かくのごとく世尊は〔答えた〕「プンナカさん、これらの聖者たち、人間たち、王族たち、婆羅門たちは、彼らがいかなる人でも、神々への祭祀をたくさんここで世において営んできたのです〔が、それはね〕、プンナカさん、〔彼らは〕ここ[輪廻]の状態を希望している〔者たち〕であり、老いに依存した〔者たち〕であり、祭祀を営んできたのですよ」〔と〕。(2)

【感想】
  「ここ輪廻の状態を希望している者たち」と「老いに依存した者たち」がイコールの関係だろうと捉えましたが、「老いに依存」という言葉の意味は、どんな人でも(お金持ちでもそうでなくても、社長さんでも普通の人でも)これまでの人生で積み重ねてきた地位・知識・お金・家族・モノなどを抱えてずっと生きていきたい、という願望のことなのかなと思いました。
  こういう願望は最終的に実現不可能にもかかわらず、その事実に向きあわず、とりあえずそのときそういう執着の気持ちが強い場合、特別な宗教的信仰心と関係なく、お参り・お祈りを一生懸命行っているんだろうなと思いました。自分が、観光のお土産以外でお守りを買った時のことを思い返しますと、そういう依存の気持ちがあったように思いました。

5.3. プンナカ学徒の問い 1050

5.3. puṇṇakamāṇavapucchā
1050. (1043)

【経典文】
"anejaṁ mūladassāviṁ, (iccāyasmā puṇṇako) atthi pañhena āgamaṁ; kiṃ nissitā isayo manujā, khattiyā brāhmaṇā devatānaṁ; yaññamakappayiṁsu puthūdha loke, pucchāmi taṁ bhagavā brūhi me taṁ". (1)

【正田氏訳】
かくのごとく、尊者プンナカが〔尋ねた〕「動揺することなく、〔ものごとの〕根元を見る方(ブッダ)に、問い尋ねることを義(目的)として、〔わたしは〕やってまいりました。何に依存する者たちとして、聖賢たち、人間たち、士族たち、婆羅門たちは、天神たちへの祭祀を、ここに、〔この〕世において、多々に営んできたのですか。世尊よ、〔わたしは〕あなたに尋ねます。それを、わたしに説いてください」〔と〕。(1)

【文法的分解】
"anejaṁ(aneja: a.m.sg.acc.「不動の」(a(n)は否定の接頭辞))
mūladassāviṁ=mūla(mūla: n.「根本」)とdassāviṁ(dassāvin: a.m.sg.acc.「見者に」)のコンパウンド,
(iccāyasmā=iti(iti: indecl.「かくのごとく」)とāyasmā(āyasmant: a.m.sg.nom. 「尊者が」)の連声
puṇṇako(puṇṇaka: m.sg.nom.「プンナカが」))

atthi(atthin: a.m.sg.nom.「欲求する者として」)
pañhena(pañha: m.sg.instr.「質問による/とともに」)
āgamaṁ(āgacchati: v.1.sg.aor.「来ました」);

kiṃ(ka: pron.n.acc.「何に~ですか」)
nissitā(nissita(<nissayatiのpp.): a.m.pl.nom.「依存する者たちとして」)
isayo(isi: m.pl.nom.「聖者たちは」)
manujā(manuja: m.pl.nom.「人間たちは」),

khattiyā(khattiya: m.pl.nom.「王族たちは」)
brāhmaṇā(brahmaṇa: m.pl.nom.「婆羅門たちは」)
devatānaṁ(devatā: f.pl.dat./gen.「神々への」);

yaññamakappayiṁsu=yaññaṁ(yañña: m.sg.acc.「祭祀を」)とakapppayiṁsu(kappati: v.3.pl.aor.「営んできた」)の連声
puthūdha=puthu(puthu: adv.(<a.acc.)「たくさん」)とidha(idha: adv.「ここに」)の連声
loke(loka: m.sg.loc.「世において」),

pucchāmi(pucchati: v.1.sg.press.「尋ねます」)
taṁ(tvaṁ: pron.2.sg.acc.「あなたに」)
bhagavā(bhagavant: m.sg.voc.「世尊よ」)
brūhi(brūti: v.2.sg.imper.「言ってください」)
me(ahaṁ: pron.1.sg.dat.「私に」)
taṁ(taṁ: pron.3.n.sg.acc.「それを」)". (1)

【自己流訳】
かくのごとく尊者プンナカが〔述べた〕、「不動であり、根本を見た方に、〔私は〕質問によるお願いがある者としてやって参りました。何に依存する者たちとして、聖者たち、人間たち、王族たち、婆羅門たちは、神々への祭祀をたくさんここで世において営んできたのですか。世尊よ、あなたに尋ねます。私にそれを説いてください」〔と〕。(1)

« 2016年5月15日 - 2016年5月21日 | トップページ | 2016年6月12日 - 2016年6月18日 »